コミュニケーションは相手の話を
コミュニケーションとは、相互作用ではないのだろうか。
自分が話すだけではなく、相手の話をきく。
自分と相手のやりとりをしていく。
でも、それがフィルターかかっているような人もいる。
ありあけハーバーなつかしい。
地面。
ノーファインダー。
本番2日目。
今日はわたしの発表の日。
オープニングになった。
目で動かす、動かされる。念力は通じるのか、通じないのか。
真剣にやればやるほど、思い切ってやればやるほど、笑いがおこった。
笑いを取ろうと思って狙っていない。全くしていない。
不思議だ。
けれど、人を笑わせるというのはなんだか嬉しいものだった。
無意識と意識。
無意識の言葉、意識して書く言葉。その道筋はどこにあるのか。
無意識の動作を記録し交換する。
自分でも意図していない動きというのはたくさんある。なぜだかはわからない。
だけど、そういうものがその人を表している。
物との記憶をもつ、突然切断する。
切断されて嫌だった人が加害者になってしまう。切断することと、身体と自分の意識との乖離。
鼻をバージョンアップ。
鼻がひたすらなんだかわからなくなり、なんだかいとおしくなる。
近くの四歩のランチ。
本番前。
地面。
塞がれてしまったように感じた道。迂回路を探してなんとなく歩いてみたら、必要なものをいくつか拾った。自分がこれから向き合っていくものごと。
本番
本番いちにちめ。
わたしのじっけんの日ではなかったが人のじっけんに乗っかる。
嘘と本当。
これは話しているうちに、逆転することがあるような気がしている。
衣服と皮膚と空間。
衣服は延長すると、空間なのではないか。または小さい空間が衣服なのではないかともおもえてくる。
自分のアイデンティティ。
思い浮かぶものを10個書く。
ひとつずつ消していく。
これは、自分の答えは、もうわかっていた、決まっていた。だとしたら、そこに向かうしかなかった。
言葉のつたわりかた。
言葉を棒読みで読む、母音で読むなど、すなわち、言葉の意味と切り離して、言葉に感情を持たせずに読む。
なせだか音楽のようにも聴こえてくる。
なせだか刺さる時がある。
外側から自分を見る。
自分の鼻を描く。鼻をバージョンアップさせる。
自分の鼻をただの物のように。
地面は謎だらけ。
価値観とジャッジ
人にはいろいろな価値観があり、自分とは違う価値観もあるのだけど。
自分の価値観=世間の価値観=絶対
のようなひとに出会うと、ものすごく不思議な気持ちになる。
人は驚くほど、ひとりひとり違うので、絶対なんてものはない。
わかりやすいもの、目立つもの、声の大きいもの。
考えるのが面倒な人は、すぐそういうものに飛びついてしまう。
あらゆる場面で選び取るということは大事だけど、絶対的なジャッジは危険。
ところで、昼は落語。
姪っ子と同じ年の男の子の落語が面白い。
ホントにまっすぐに、落語が好きなのが伝わってくる。
夜はダンス。
じんわりと伝わってくる謎の浮遊感。
久しぶりに夕陽。と月。
夕陽の時間に外にいることも、外を見ることもなかった生活、なんだかすさんでいたな、自分。
リセットしたい。
たなばたでたなぼた
夫が書いた短冊。
短冊に書く願い事は思いつかないほうです。
何か願うことがあるとすれば、頭の中で念じるか行動にうつすかです。
ぼんやりする中でもピピッと入ってくるものやキャッチできるものがある。
人の記憶力のあいまいさ。
自分にもあるので、それで人を責めることはしない。それをしたら、自分がどんどん見えなくなる。
人を監視するよりも関心を持ちたい。
窮屈な世の中。
わからないことを受け入れて、時々考えたり考えなかったり。
なんでも曖昧でいいわけではないが、なんでもハッキリさせることを大事とは思わない。
不安で人を責めるのは、自分があやういから。
透明感を持ちたい。
六本木の地面。
六本木は華やかだけど、かなりダークサイドだったり、あの世のものがあれなところですね。
ダンスと音楽を鑑賞した。
身体の部分が面白い人。
音の人との距離感、大事です。