切実なるもの
仕事をそうそうに切り上げて、横浜STスポットへ。
手塚夏子さんの作品を観にいく。
漂流瓶プロジェクト
綱に繋がれた手塚さんが質問に答えながら、答えの言葉を身体に通しながら答えていく。
綱の先が見えない時は、何かに拘束されて窮屈そうに思えた。
綱の先に人がいて、なぜだか綱引きになってしまう。よくわからないけど、困っているから助けが必要で、観客も巻き込まれていて、助ける。
実際に助けない人も綱引きに行方や様子が気になり、前のめりな気持ちになる。
なんか日本っぽいなと思ってしまった。
韓国人のアーティストの作品は質問して、観客が参加して答える形式。
日本、韓国、アメリカ、イスラエルの国旗で答える。
普段強くは意識していなかった角度から、その場にいる人、自分、日本という国を眺めるような感覚。
スリランカ人のアーティストの作品は、パスポートとビザを題材に儀式化した作品。真剣なのにどこかユーモラスに思えた。
どの作品も、ただの鑑賞者でいられない、自分の中にグイッと入ってくる、問いかけてくる、そして日常とは、別世界のドアを開けたような気持ちになった。
身も心もムズムズした。良いとか悪いとかだけでは判断できないものだった。
地面。
横浜の喫茶店、サモアール。