葬送の仕事師たち

父が亡くなった。3月3日の話だ。2014年7月から、法定後見人制度を申請し、父のことは、後見人の方にお願いしていた。連絡をくれたのは、後見人の方からだった。遺体の引き取りや相続の件など、決めなければいけないことが急にやってきた。そのうち来る話だと思っていて、もしかしたら、そろそろかもと最近思い始めていた。その時に備えて、葬儀や墓のことを調べていた。とにかく費用がかかることを知った。遺体をもし引き取るならば、費用もこちらでもつことになる。遺体を引き取るにしても、引き受けられる場所がない。骨をどうするか。安い費用で供養できるところもあったが、安いというだけで何の縁もないところに入れる意味があるのだろうか。迷った。

母、妹と相談して、引き取りは拒否することにしたが火葬には立ち会うことにした。遺骨は火葬場に納骨堂があり納めることは可能という話だったので、お願いすることにした。

火葬の日、案内された火葬場につき、担当の方に渡された名刺を見ると、終活士、葬送コンサルタントと書かれていた。接客態度の印象がディズニーランドを彷彿させた。昔のような重い暗い閉鎖的というよりはむしろ、爽やかさがあった。かといって、それが不謹慎というわけでもなかった。

3月3日に亡くなり、火葬が3月14日。亡くなってから11日経っていたが遺体を見ると、そんなに経っているように思えないくらいキレイだった。

23年振りくらいに会った父の顔は、他人を見ているようでもあるが、横顔を見ると、少し面影もあった。

火葬が終わり、骨になり、骨を骨壷に納める儀式を行なった。その担当者の振る舞いもまるでディズニーランドのショーのように思えた。

一連の行いが遺族に気持ちよく思ってもらえるように設えられたように思えた。

 

そんな時、井上理津子さん著の「葬送の仕事師たち」という本に出会った。

人の死にまつわる様々な職業に取材して書かれた本。

数年前の祖母の死、最近の父の死にまつわることで、気になったことが、この本を読むことによって、少し理解し、このような仕事に就いている方に感心した。

死者に対してや遺族に対しての気遣い、遺体をキレイにする為の手法、キレイに火葬するということ、きれいな遺体ばかりではないこと、など知らないことを知った。

東日本大震災の遺体について書かれていることは衝撃的だった。

 

生きていることは当たり前ではない。人が死んでしまった身体は急速に腐敗していく。

生きていることは儚く尊い