魅惑的なせかい
休みをとって、姪っ子のピアノの発表会へ。
姪っ子の曲は軽快でポップで舞台の上の姪っ子は足取りもどこかユニークで微笑ましかった。
後半の方になったとき、中学生くらいの女の子のピアノに感動してしまった。
自分の世界を持っていて、ピアノと音と彼女の間で、とてもスムーズな世界が繰り広げられていて、魅了された。
途中、赤ちゃんが泣く声が聞こえて、一瞬そちらを見たけど、また姿勢を正して自分の世界に入っていった。
楽譜をたた練習するのてはなくて、そこを越えていくものがある。
地面
たこテラス
仕事帰りに、もう閉まってしまって行けなかった、たこテラスへ。
地面。
セッション
初めてのセッション場にいった。
行ったことのあるいくつかの店舗を合わせつつも、まったく異なる雰囲気もある店だった。
既成曲を一切やらず、マスターは謎のて作り楽器や楽器でないもので音楽を奏でたりしていた。
マスター対わたし、のセッションは、なぜだか祈りのような気持ちになって踊った。
なかなか、刺激的な場と時間だった。
新宿、地面。
なくなるもの
夫の母に会いにいく。
いつものように歌を歌ったが、歌詞を思い出せなくて、自分のことがわからなくなって、辛いのではないかという感じになってきた。
義母は文字が読めないらしい。
かなり高齢まで仕事をしていた祖母は、今思うと、症状が軽いほうだったのかもしれない。
労働と知識が豊かにするものは、お金だけではないのだと思う。
夫の実家にいくと、わたしが詩にも書いたインコが亡くなっていた。
今月だけで、人がなくなったり、場所がなくなったりが3件もあり、悲しいと言い切れるほど簡単ではない思いがこみ上げてくる。
懐かしい感じの駄菓子屋。
地面。
切実なるもの
仕事をそうそうに切り上げて、横浜STスポットへ。
手塚夏子さんの作品を観にいく。
漂流瓶プロジェクト
綱に繋がれた手塚さんが質問に答えながら、答えの言葉を身体に通しながら答えていく。
綱の先が見えない時は、何かに拘束されて窮屈そうに思えた。
綱の先に人がいて、なぜだか綱引きになってしまう。よくわからないけど、困っているから助けが必要で、観客も巻き込まれていて、助ける。
実際に助けない人も綱引きに行方や様子が気になり、前のめりな気持ちになる。
なんか日本っぽいなと思ってしまった。
韓国人のアーティストの作品は質問して、観客が参加して答える形式。
日本、韓国、アメリカ、イスラエルの国旗で答える。
普段強くは意識していなかった角度から、その場にいる人、自分、日本という国を眺めるような感覚。
スリランカ人のアーティストの作品は、パスポートとビザを題材に儀式化した作品。真剣なのにどこかユーモラスに思えた。
どの作品も、ただの鑑賞者でいられない、自分の中にグイッと入ってくる、問いかけてくる、そして日常とは、別世界のドアを開けたような気持ちになった。
身も心もムズムズした。良いとか悪いとかだけでは判断できないものだった。
地面。
横浜の喫茶店、サモアール。